2018年03月12日

雑ネタ 2つ

0313

お百度参り
歴史探訪ウォーキングのこぼれ話。
薬師如来のあるお寺で、ガイドさんが、
「この庭にあるあの石柱は、お百度参りのためのものです。その前に置かれている手水(ちょうず)は、女の子の陰唇を意味します。つまりあの石柱は、男の子の一物を意味し、ふたつで五穀豊穣を願っているのです」
とま、そんなことを言い出しました。
たしかに石柱には、お百度参りと書いてありました。手水は水がたまっていました。
農業国家の日本は、明治時代になるまでは、おおっぴらに恥部をさらけ出していたわけです。
それは、古来「天照大神が天岩戸へ隠れて、ににぎの尊が恥部をさらけ出して踊った」
という伝承からわかるように、日本民族がずいぶんおおらかで包容力のある性格をしていたのかもしれないと思わせるお話でした。
西洋の文化って、いろいろなものを破壊しますね。
ガイドさんの話によると、昭和30年代になるまでは、このお寺の薬師如来にお百度参りするひとがいたけれど、最近は西洋の科学が発達して、その信仰もすたれたそうな。
わたしは、中学生の頃、ある本で、農業の神を殺したため、商業の神がその国を支配するようになった、というファンタジーを読んだことがありましてね。似た話って、どこにでもあるのだなと思いました。
でも、たとえば西洋医学でも治らない病気をかかえているとき、治りたいと思ったら、やっぱり薬師如来に頼るしかないかもね。
それか、新宗教の「お光りさん」とか(笑)
こうやって考えてみると、新しい神が、古い神を滅ぼしたみたいなもので、実にファンタジーです。このネタだけで、短編が書けそうだなぁ。聖書っぽいから書かないけど(笑)
医療ではどうすることもできない病気。それを受け入れて生活するのって、わたしはさほど苦労はしない。普通でいられるのが幸せだというひともいるけど、普通じゃAIに負けてしまいます。
人間の生きる意味って、なんだろう。

努力を3時間つづける
ラジオ深夜便で、なにかテーマを決めて、1日3時間びっちり10年やり続けたら、その道のプロになる、という話をしていました。
名言を研究したり、歴史を勉強したり、純文学をかじったり。
いろいろやってはみましたが、けっきょく続かないんです(資料の検索法がわからない、というのもあるかもしれませんが)。
これだけは自信があるという分野も、ファンタジーじゃあ範囲が狭すぎるしねえ。
モノにならない雑知識ばかり増えていって、この程度ならロボットでもできるよ、というレベルであえいでいるという次第。
新しい話をつくりたい、と思っているのに、設定やプロットが分厚くならない。
深く作品にのめりこんで、矛盾のない、だけどはっちゃけた話を書きたいんですがね!
「ライノベ界の常識を超えたい!」
なんて夢はありますが、若くない文体ではついてきてくれないだろうし。
だからって、売れている作品の真似して、濁った文体を身につけるのって、抵抗あるのよね。
3時間びっちり、といわれても、昼寝したり本を読んだりポケモンGOしたりして時間が経っていってしまうから、なーんにもできない。
努力して一流になれるとは限らないが、努力せずして一流にはなれないそうです。
努力しても、作家活動が続けられるとも限らないんじゃなかろうか。
ローリングなんて、ハリポタ以降、鳴かず飛ばずだもんねえ。
  けっきょくわたしも、自分が楽しいからやっている。
そういう自分が情けないから、『小説家になろう』から身を引いたんだけど。
フォロワーが3人に増えてうれしい反面、ま、その程度の話しか書けてないんだなと。
努力すりゃ、愛嬌のある文章が書けるなら、やってるよ!

posted by 岡野なおみ at 07:12| Comment(0) | 日記