2018年12月05日

がんで死ぬのが理想?!

ガンで死ぬのが理想だって人がいます。
自分で死期がわかるから、それに向けて準備が出来る。
ふつうは、ガンは痛いし治療も大変だから、
とんでもないって気もしますが、
いろんなひとがいるものです。

パソコンボランティアで、腎臓病に倒れた人の話をしていました。
人工透析をする際のことを、顧問が身振り手振りをまじえて
説明します。
右腕を伸ばし、左人差し指でその腕を刺しながら、
「注射のあとが、痛々しい」
と、震え上がったりします。

そこまでして、生きたいだろうか?
という話題で盛り上がりました。
チューブにつながれ、ただ息をしているだけ。
アムステルダムでは、安楽死を認めているそうです。
その一方で、もし、だれかが安楽死したいと言い出したら、
ケアマネージャが飛んできて、
「どうしたんですか!」
「死なないでください!」
と説得、その結果、思いとどまる人もいるらしい。

日本では、安楽死は認められていません。
だから、患者がどれほどつらそうでも、
生ける屍として、生き延びなければなりません。

家族の中には、
「この治療の間に医療が進んで、病気が治るかもしれない」
という望みを抱く人もいます。
鼻から流動食をいれられ、床ずれになって苦しむ肉親を見ながら、
医療の前進を信じるさまは、
溺れる者は藁をもつかむ、ということわざがピッタリかもしれない。
  衰弱しきって患者は死んでいきます。
看病と世話でつかれた家族は、ほっとひといきつくのでした。
生きていて欲しかったけど、
ピンピンころりで死んで欲しかった、というのがホンネかもしれません。

傷つき、つかれはてた家族を精神的に支えてくれる人が、
現代では、ほとんどおりません。
一昔前には、お坊さんが、極楽の話をしてくれたり、
家族の愚痴を聞いてくれたりしていた、というネット情報もありました。
しかし現代では、宗教というとコワイ、というイメージが先行したり、
医療現場とソリが合わなかったり、
そもそも、死に瀕しているひとのまえで、極楽の話なんて縁起でもない、
という認識があるようです。

人工透析で、週に3回、通院している人にとって、
1日がかりのこの作業が、「生きている」ということにつながるわけですが、
災害や事故などで人工透析が出来なくなるとき、
「自分は役に立っていない」 絶望することもあるでしょう。
そして、進まない医療に、じれったさを感じることでしょう。

年賀状の季節になりました。
だれかの役に立つから、生きる価値があるのではない。
そんなことを言ったら、だれも生きる価値がなくなります。
人の役に立つ、立たない以前に、
生きているだけで、価値があるのです。
年賀状の作り方は、うちの会で教えています。
あなたも、参加しませんか。

posted by 岡野なおみ at 08:25| Comment(0) | 日記
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