2018年05月21日

小さな成功体験

8万字になるような文章を!
というわけで、『地元のいい話』 (戦争と金庫、8万200文字程度) が、2018/05/14校了しました。
生まれて初めて、〆切前に目標を達成できたのがうれしかったんですが、ほとんど資料を丸写ししているところがあり、かみ砕いてアレンジする能力が必要だなと思ったりしました。この辺は、宮部みゆきの 『ソロモンの偽証』 が参考になるかもしれません。
いろんな意味で、勉強になったひと月でした。
くたびれ果て、読書する力もなく、1週間ずっとぽけーっとラジオを聞いたり、ポケモンGOをしたり、FF8やイースオリジンをしたりしていました。
自分で考えて工夫するのは当然としても、それにおごっちゃダメだなと自戒したりもしました。
小さな成功体験ですが、自信がついたのも事実です。

友人の助言
片付けをして、資料を棄てたりPCに投入したりしましたが、そのなかから友人の助言が出てきました。
こうした方がいい、という記事だったりするんです。厳しい指摘でした。ありがたいと思います。
もっとも、自分の都合のいい考え方に合わせろ、ってことでもあるから、流行的にどうなのかなとも。
自分が流行をつくる、と言うことなら、もっとオリジナリティについて深く考えなくちゃいけません。
友人の助言をもとに、自分の一面を直視したいと思ってます。
それもあるけど、わたしは あまりいい過去を持ってないから(妹とか、妹とか、妹とか!)
マスコミとかにいいように書き換えたりしないかなというのも心配です(いまからそんなの心配してどうする)。
人に作品を見せたことがない、という人もいるけど、それはよほどの実力の人だと思う。
それか、お互いの切磋琢磨が面倒だからウソをついているか(笑)
その人は同人誌をやったことがあるって言ってたから、まったく人に見せたことがないってことはあり得ないんですが、
甘えるなってことでしょうねきっと。

最後まで書き切る才能
量を書いて最後まで書き切るのも、才能の内だとたらさわみちさんは言っていた気がする。
量はネタ不足のため、なかなか書けません。
でも、最後まで書き切ったものが、中途で終わった作品よりは多くなってきた気がする。
これも、小さな成功体験ってやつでしょう。
毎日、エッセイ日記を書いてきた成果が出てるかな?

応援してくださる人もいる
カクヨムで、いつも応援してくださる人もいるので、それも励みになってます。
感想を書くほどの日記でもないのと、わたしの日記の敷居が高いのか、コメントはなかなかもらえませんが、それでもハートマークがつくと、
またやるぞ!
と元気が出てきます。
早いとこ、エッセイから脱して、SS日記を書きたいところです。

眉村卓のSS
「まぼろしのペンフレンド」とか、「ねらわれた学園」とかで、わたしの若い頃には一世を風靡した眉村卓って作家がいますが、彼は奥さんがガンになったのを知って、奥さんのために毎日一話ずつ、ショートショートを書くことを自分のノルマにして、奥さんが死ぬまで続けたそうです。
並大抵の才能じゃありませんね。
古本で、彼のSSがあったら買ってみたいといまから画策中。勉強になりそうです。
SS日記かー。それよか、ふつーのエッセイ日記の方がよかないか? エッセイの方がすぐできるし、気軽だしねー。
という内心の声もありますが!
毎日違うことを書くには、やはりエッセイでは限界もある。
身近なことに疑問を持つ習慣を持つようにするには、エッセイよりはストーリー性のある話を書く方がいいかもしれない。
……とか言ってるけど、いきなりそのレベルに達するのは難しいので、まずは観察からやってみます。(遅いよ)
描写は、記憶の中の 「観察」 を何度も言葉で繰り返すのが基本。わたしに出来るかな。

posted by 岡野なおみ at 08:21| Comment(0) | 日記

2018年05月18日

この差で得する? 背の高さ

ネット友だちの公開日記を読んでます
ネ友に、背の高さを悩んでいる人がいます(ちなみに30代男性です)。
学生の頃は、ありとあらゆるスポーツ部に勧誘されたとか。
野球部、水泳部、ラグビー部、そしてもちろんバスケット部。
最後のバスケット部の攻勢はすさまじいもので、オタオタしつつも、彼は、
「通学に時間がかかるので」
という理由で、断り続けてきたそうです。
片道だけで、2時間かかったんだってさ!
そりゃ、部活動してる暇なんかないよね。

背が高いとうらやましい?
背が高い、というだけで 「カッコいい」 と言われちゃう。そんな世の中が疎ましい、と彼はボヤきます。
期待にこたえなくちゃいけないので、身ぎれいにする。
破天荒なことをしたら、目立つ。なのでいつもおとなしくしている。
声も大きい。そのためにいつも注目され、成功するのは当たり前。失敗したら嘲笑されちゃう。
何で俺は、こんなに背が高いんだ?

夫も背が高い
ちなみに中学生の頃水泳部だった夫の背は、わたしより、約四十センチ高いです。
こないだ母の日で、百貨店を義母と夫で歩いていたとき、催し物を見るために会場を探していたんですが、
「3階の会場、どこかな?」
と首を伸ばしている夫を、2メートルぐらい離れていたテナントの人が、
「ああ、こちらでございます」
と案内してくれました。(声と背が大きかったので、すぐわかったらしい)
家では新しい靴の入った箱やトイレットペーパーの束など、置き場所に困るモノは、食器棚の上に置きますが、そのときも夫の出番。
ひょいっと手を伸ばして、義母にもできなかった片付けをしてしまう。
狭いマンションに整理整頓の手伝いをしてくれる大男。なかなかの見ものです。

背が低いと損
背が低いと損ですねぇ。なにより、甘く見られちゃう。温泉へひとりで行けば、「ようひとりで来たのー」 と飴玉もらったりします。
なめとるんかこら!
  チビだと、前に人がいるだけで景色が見られません。演劇やミュージカルを見に行くと、前の席にでかい人が座っていて、
「失敗した!」
というのはよくある話なんです。
かわいいからいーじゃないの、と義母は言いますが、そういう問題じゃないんだよ!

うどの大木
たしかに大男には、総身に知恵は回りかね、ということわざというか、都々逸みたいなのもあります。うどの大木ともいいますが、江戸時代では小さい人のほうが食事の量も少なくて済んだから、という一面はあるはずだ。
山椒は小粒でぴりりと辛いとかっていう人もいるけど、わたしのことは猫だという評価もあるから、辛いわけではなく、むしろ甘やかされてにゃごーんとしているという方が正しい。
こんなわたしに誰がした(笑)

障害物競走
わたしは、運動会がきらいでした。かけっこでいつもどん尻だったからです。
小学校時代に、無理やり障害物競走の選手にさせられました。
「小回りがききそうだから」 というのがその理由。
「一等賞をもらえるわけがない」
と絶望にかられました。
みんなからは、期待してるよと揶揄されたりして、いよいようんざりしていたんです。
で、その当日、用意ドンで駆けて行くわたしは、たしかに小さかったのでどんどん障害物をくぐり抜けていきます。
これは、一位になれるかも!
生まれて初めて、一位に!
背が低いと、得だ!
しかし、世間はそこまで甘くない。
最後の30メートル直線で、2位の人に抜かれてしまいました。
背が低くても、有利にならない。
チビって損だ。えーん。

posted by 岡野なおみ at 06:08| Comment(0) | 日記

2018年05月17日

テレビ局の社内報 5月10日号

20180512hirotere

夫はテレビ局のSEです
うちの夫はテレビ局のインフラSEで、仕事上の話を時々してくれます。
「故障したと女子アナに呼ばれてパソコンを見に行ったら、電源が入っていなかった」
というアホみたいな話やら、
「もう少しで放送事故になるところだった」
という深刻なものまで。
総選挙があれば、広島から東京まで出張になるそうで、それが嫌だと愚痴っておりまする。
そんな彼からもらったのが、そのテレビ局の社内報。
5月10日号の中身は、こんな感じ。

新人さん、いらっしゃーい
新人さんに対して、歓迎の言葉が述べられておりました。
テレビ局も学歴社会なのかなーと邪推するわたし。
どうせ育てるつもりもないのに、学歴偏重なのは、もしかして 福沢諭吉の 『学問のすすめ』 の影響か?
あの本は、人間の平等を謳ったわけではなく、
学問さえあれば のし上がっていけるという、能力主義的な発想による 学歴偏重の論説が載っている、と
なにかの本で読んだ気がする。

歌碑完成! 美空ひばりが歌った反戦歌
「一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く」
という歌があるそうです。これは、広島県立体育館で開催された第1回広島平和音楽祭で、歌手・美空ひばりさんが歌った、原爆をテーマにした歌、だそうです。
いろいろ背景は書いてあるんですが、わたしはこの歌を知らなかったりします。
鉛筆で原爆の話を書く、というところがミソだなと思ったりしました。
書き換えが可能だからねえ(笑)

2017年度視聴率『三冠王』獲得
「ザ! 鉄腕DASH!!」 と、 「世界の果てまでイッテQ!」 が高視聴率をマークしたそうです。
地方局としては、広島カープの試合放送がやはりよかったらしい。
カープは広島では、ほとんど宗教ですね。その話題についていけないと、白眼視されそう(笑)
でも、カープにしろサンフレッチェ広島にしろ、わたしはスポーツには関心がないのです。
勝ち負けがあるのって、やだ。

社内報のほかの記事
興味があるのは、「Dear ボス」でしょうか。大きな夢を持つことがなくなった人々に、勇気を与えるために地元企業のトップへインタビューするというスタンス。
時間があれば見たいが、こちらはWBSも見なくちゃならないし、実は『がっちりマンデー』も見始めているのでね、無理っぽいです。計画性があまりないから、というのも一因としてあるかもしれない。

テレビよりラジオ
テレビは、主として録画して、ザッピングして見ています。テレビを見ながらなにかをするって、難しい。
それにひきかえ、ラジオは「ながら」が多いですね。こないだRCCの『ごぜん様さま』で、横山アナウンサーが実家の母親に、
「マンゴーが食いたい」
とグチを言ったら、ひと箱マンゴーを送ってきた話をやっていて、思わず笑ってしまって書いている原稿の内容を忘れてしまいました。
無駄話でも、こうして日記のネタになるからラジオは侮れない。

テレビの斜陽化
いつでもどこでも気軽に見れて、時間も短いインターネットの動画や、長時間拘束されるけれど安い映画のサイトとかで、テレビもずいぶん斜陽化が進んでます。見て欲しいばっかりに、番組内で賞金付クイズのキーワードなんか出したりして、涙ぐましい努力です。
でも、おカネやモノで釣れないのが人のこころってもんですからな。
一方的で、支配的な言行を改めない限り、テレビの行く先は暗いかも。
……夫が定年退職するまで、持つといいけどなー。

posted by 岡野なおみ at 08:28| Comment(0) | 日記

2018年05月16日

講義のテーマ『わすれもの』 + ラジオネタ

今回は、ラジオネタを絡ませて、講座のテーマで書いてみます。テーマは 『わすれもの』。
RCCラジオの 『ごぜん様さま』 で、記憶では河村綾奈 アナウンサーが、自分の両親の話をしていました。
河村さんのおかーさんは、買ってきたトマトの苗を育ててみたらプチトマト (ぶち トマトではない)だったという天然ボケ。
そんな彼女をおとーさんは、いつもからかって喜んでおりました。
ところが、そんなある日、おとーさんのほうがおかーさんにからかわれる事態に。
それはいったい、どうしたんでしょう?

リスナーの予測はいろいろあれど
リスナーの天然ボケな予測はいろいろありましたが、河村さんの答えは、「おとーさんが弁当を忘れた」 というもの。
河村さんのお父さんはバス通勤をしています。バスを待つその停留所に弁当を忘れていったらしい。
あとで乗客からの届け出があって、「このご時世、爆発物だと思われても仕方ないのに」 と 河村さんは感謝感激。
おかーさんはおとーさんに、「やーいやーい」 と勝利感に浸ったとか。

わすれもの その2
わたしのネット友だちのなかにも、わすれものをした人がいましてね。
雨が降っていたので、傘を持って映画館へ行ったけど、傘立てに傘を入れたとたん雨がやんで、それっきり傘を忘れたとか言ってました。
傘とか眼鏡とかスマホとかは、忘れる代表のようです。
インターチェンジのトイレなんかでも、「傘やスマホのわすれものは、ありませんか?」 なんて扉に書いてあったりしますよね。

気の緩みが原因?
忘れるのは気が緩んでる証拠だっていう人もいるんです。ビシッと気持ちを集中させてたら、そういうことは起こらないだろうって。
本能的に、その傘やスマホなどを避けているから忘れるのかもしれません(デザインが気に入らないとか、いろいろ)。
なので、忘れないようにメモするといいって人はいいますが、メモしたことを忘れたりしますね……TT
あと、メモの字が読めなかったりしますし……TT

AIと記憶力
AIが身近になったなら、わすれものも多少は減るでしょうか。AIロボットが相棒にいて、
「はい、傘を忘れそうですよ」
って言ってくれたら、どんなにいいでしょうね!
でも、たとえばバスの料金で、
「ロボット乗車料」
とか取られたら嫌だよなー。
あと、AIの記憶力も、異常なほど記憶力のいい人間と比べたらたいしたことがないらしい。
具体的には、テロリストの顔写真を一発で記憶した人間が、AIの割り出した人間の数より数百万倍もの確率でテロリストをつかまえたっていいます。
AIもアテにはできん。

わすれものもそうなんだが……
わすれものをよくするのもそうなんですが、ものが片付かないのがわたしにはつらいです。どんだけがんばっても、いまひとつ雑然としちゃう。
きれいにしたつもりでも、いつのまにやら紙やメモ用紙が散らかっちゃう。
これって、きれいにするっていう根性をわすれているのかな?
一時間、原稿を書いたら、5分ほど片付けをしろってものの本に書いてあった。休憩という意味も含めて、気分転換になるんですって。
でも、資料を片付けたら、続きの原稿が書けなーい!
  なので、つい、片付けないままPCにかじりつき、肩と腰を痛めてヒーヒーいうわけであります。
ぜんぜん、経験したことを学んでないんだから、わたしも相当忘れっぽい。わたしにとって事象というのはそれ自体がわすれもの、なのかもしれません。

posted by 岡野なおみ at 07:56| Comment(0) | ラジオネタ

2018年05月15日

ねこアート展の思い出(5月11日の記事補足)

20180505

ねこアート展の話
ひろしま美術館の「ねこアート展」の詳細をお話しします。その特別展のまえに見た、常設展示の話もします。
あと、ねこパンとカプチーノの話もしたいな。順番に行きますね。

常設展示とわたしたち
わたしも義母も障碍者ですので、ひろしま美術館は無料で入れるんです。(でも駐車料金が……)
付き添いの夫も無料でした。しかも美術館付喫茶店 ジョルテ の割引クーポン付! ありがたや!
ともあれ、まずは特別展の 「ねこアート展」 へ……と思いきや、常設展示のほうへ まっしぐらの夫。
止める暇もあらばこそ、展示室の中に入って珍しげにキョロキョロ。
展示されているのは、主として西洋の絵画でした。
モネとかマネとかルノワールとか、ピカソとかいろいろありましたね。
写真撮影OKの展示物もありましたが、フラッシュは焚かないでね、とのことでした。
画家を目指しているのなら、こういう展示物の写真を撮って、家で模写するって手もあるかも。
わたしは 目の保養になったけど、それが? という感じ。
ただ、ピカソの、習作時代の絵が、ふつーすぎてびっくりしましたね。
少年と犬の絵にも、のちのピカソの片鱗を見ることが出来ました。
主人公や犬に、ちゃいろの縁取りがしてあるんです。(まるでキュビスムを連想させるように……)
栴檀は 二葉より芳し。

不快にさせるのも芸術
たしか、岡本太郎さんが『芸術というのは、人を不快にさせるものもある』という名言をおっしゃったという話を聞いたことがあります。
ピカソの絵は、まさに居心地のいい絵ではなかったんですが、それだけに、強くこころに訴えかけてくるものがありました。
でも、美しい絵のほうが、わたしは好きです。モネとかモネとかモネとか! (笑)

ねこアート展・東洋編
肝腎のねこアート展ですが、記憶に寄れば猫の歴史や東洋・西洋の猫観の違いなどを具体的に挙げながら、アートを紹介しておりました。猫の浮世絵なんてのがあったのが面白かったです。(当時、猫は高かったので、絵を描いてそれでネズミを退治させるようにしていたらしい。当時は、絵に描いた猫でも、役に立つと信じられていたのですよ)。

ねこアート展・西洋編
西洋の猫観は、「悪魔の使い」として、邪悪なモノだという認識。一九世紀まで、迫害が続いたって言うから、わずか二百年前までは西洋の猫は不遇な日々を送っていたわけですねえ。気のどく。
悪魔といっしょに描かれていたり、乞食や老女(当時は魔女と思われていた)といっしょに描かれていたりと、猫に対してはあまりいい感情を持っていなかったようです。

  役に立つ、からペットまで
エジプトが発祥の地だとかで、その当時エジプトからは持ち出し禁止でした。
しかし、戦争があって、敵軍が猫をかっさらってしまったのでした。
こういうことは多々ありますよね……。有名なのは、秀吉の朝鮮侵略にともなう唐辛子の定着だけど、それ以外にも、広島に陶器の技術がUPしたのも、この戦争のおかげだとかってなにかの本で読んだ。(記憶違いもあるかもだけど)。
色んな意味で、戦争の複雑な一面を考えさせられてしまいます。

喫茶店 ジョルテ
一通り眺め終わってから、サ店のジョルテへ参りました。そこで、チョコクリームの入った黒猫のパンと、猫の足跡のカカオがついたカプチーノを飲食。パンは、甘すぎましたが、コーヒーはおいしかった。パンにせずにクッキーにすりゃよかったかも(選択できます)。
  夫の仕事の愚痴を聞いてから、一時間後にジョルテを出て行きました。
売店で猫のはがきを買いました。友だちのたらさわみちさんに送ろうかなと思ってます。

posted by 岡野なおみ at 07:09| Comment(0) | 日記